なおすけの日記

23才のコピーライター

どうしてこうなった。

 

いや〜今年も早いもんで。

 

忘年会シーズンですね。

 

ボクは高校時代の部活の飲み会に参加してきました。

 

高校時代、苦楽を共にした仲間との再会に胸が弾みました。

あんなことやこんなことがあったな〜 と、当時の思い出に浸っている中、数人の女のコがボクを見て、「誰かに似てない?」と話しているのが聴こえてきました。

 

(お、どんな芸能人の名前が飛び出すのかな?)とにわかに期待を寄せていると、次の瞬間、彼らの口から衝撃的な言葉が飛び出しました。

 

 

 

 

 

 

じゅうたんに似てるwww

 

 

 

 

 

ん?

 

 

…じゅうたん?? 聞き間違いか…な?

 

そんな芸能人…いた?

 

苗字かな?下の名前かな?

それとも、アジア系の外タレかな?

 

 

 

残念ながら、聞き間違いではありませんでした。主に玄関先や居間に敷かれる、漢字に直すと “絨毯” 、じゅうたんと聞いて誰もが真っ先に思い浮かべることのできるそれでした。

 

その一言がトリガーとなり、この日、集合から解散まで終始 “絨毯” ネタでいじられ続けました。

 

 

 

まあまあ。こういうことってよくあるんですよ。ボクの趣味が他者に理解されないことなんて、これまで腐るほど経験してますから。

それに正直、大した人生を歩んできてない話題性のないボクにとって、身に纏っているたかだか布きれが話のネタになるのはありがたいことだと思っています。オイシイ!

 

さらに飲み会の最中に「いつからこう(わけのわからない服を着るように)なったん?」と聞かれ、そういえばそうだな、と、自分でも少し興味が湧いてきました。

 

 

そこで今回は、

 

「ボクが大学4年間でいかにしてファッションと向き合ってきたか」

 

なんて仰々しいタイトルをつけると「身の程を知れ!」と天の声に叱咤されそうなので、

 

「ボク、どうしてこうなった。」

 

という題を基軸に、大学生活を振り返ってみようと思います。

 

 

それではいきます。

 

 

 

◆ 大学生活一年目。

 

「明日から、私服で学校来ていいよ。」

 

そう言われたような気持ちになったボクは、自由というコトバの裏に隠れた罠に気づかされました。気づくのが遅すぎました。

 

今までは制服着用義務があり、身なりで個性を出すことは極めて困難でした。不可能ではなかったにしても、それは微々たるものでした。

それがどうでしょう。ある日突然、制服という名の檻から放たれ、看守から「君は解放されたから、もうどこにでも行っていいよ」と言われるのです。

 

困ったボクは、とりあえず今まで持っていた服を着て学校に行きました。その時のボクを一言で形容するなら

田舎の中学生の放課後 。

 

しかし、困っていたのはボクだけではありませんでした。キャンパス内には同じような境遇に立たされた田舎の中学生が、放課後でもないのにわんさかいました。

 

ホッとしました。

とりあえず一年間、この田舎マンの群れに紛れて様子を見ることにしました。

 

 

◆ 大学生活2年目。

おかしい。

 

なにかがおかしい。

 

春の訪れを感じるより先に、キャンパス内の異変に気づきました。

 

 

 

田舎マンのメンバー、減ってない!?!?

 

時の流れというのは恐ろしいもので、世の中の急激な変化に対応できない人間は容赦なく取り残されていきます。

田舎マンのメンバーの大多数はいつの間にかグループを卒業し、既にソロとしての活動を始めていました。

こうしてINK48は事実上の解散となり、ここでようやくボクも危機感を持ち始めました。

 

 

 

前々からボクは、「お金をかければ誰でもおしゃれになれんだろ」というなめた考えを持っていたので(これは後に半分正解で半分間違いだと気づくのですが)、無駄にお金をつぎ込み始めました。

 

まずなにをしたかというと、ファッション雑誌を買い始めました。

そして雑誌に掲載されているショップに足を運びました。買いました。普段着ないようなものも買いました。着ました。暗闇の中を手探りで歩くとはまさにこのことでした。

 

するとすぐに変化が現れ始めました。

友達に、服について触れられることが多くなりました。さらには、あまり話したことのない人にも服について聞かれることがありました。

 

 

やったー!

田舎マンのメンバーとして猛威を奮っていた時代に別れを告げ、中学生だったボクはなんとか大学生に追いつくことに成功しました。

 

 

 

 

歓びに浸っていたのも束の間、

ここで恐れていた事態が発生します。

 

 

◆ 貯えが底を尽きる。

ボクがなぜ「お金をかければいいんだろ」的な考えを持ち、それを実行し得たかというと、高校までの貯えがあったからです。今まで物欲とは無縁の生活(地方の学校で部活に打ち込む日々)を送っていたため、お小遣いやお年玉は貯まる一方でした。

 

しかし終わりは必ずやってきます。

 

 

「なんでこんなもの!?」と今考えれば思うようなものにも躊躇なく手を出していたので、それまでの資産は浴槽に投げ入れたバブの如く溶けていきました。

 

 

ならば!と、ネットに走り始めました。

ネットサーフィンです。

 

 

◆ ネット大航海時代

店舗での買い物は、店舗内の商品にしか出会えません。

それに比べてインターネットの海は広く、それはそれは果てしないです。

そのためこの航海では、目的の島(検索ワード)を設定しなければお目当てのお宝は見つけられません。

また、よさげなワンピース(もちろん衣類の方じゃなく、ひとつなぎの大秘宝の方ですよ!)が見つかっても、届いてみるとイメージと違った!なんてことも(このパターンは、ひとつなぎの大悲報と呼んでいます)。

しかしなんといっても、手頃な価格と豊富な種類がこのショッピングの大きな魅力です。今はもっぱらインターネットですね。

 

 

 

 

 

まとめ

大学生活を振り返ってみて、どうしてこうなったかが少し見えてきたように思います。

おそらく、周りの人と自分を比べたときの劣等感によるところが大きかったのではないかと思います。

ファッションにさほど興味がなかったころは、よく身なりを馬鹿にされていました。でも興味を持ったことはとことん追求するタイプですし、やはり周りの環境が影響したことは間違いないです。

 

 

 

 

そうしてこうなった。

 

 

 

 

 

以上、おわり。