人はほんとうに得意なことを永遠に見つけることはできない。
コピーライティングが苦手だ。
最近、そう思い始めた。
これから死ぬまで言い続けるだろう。
ボクはコピーライティングが苦手だ。
似たような心理状況に陥った経験が過去にもあった。
陸上競技に夢中だった時期だ。
(ボクは小4から大学卒業まで陸上競技を続けていた。)
もちろん最初は走るのが得意だと思っていた。同い年のなかでは、自分よりマラソンが早いやつなんて見たことなかった。
中学二年生のときまでは。
いつか必ずぶち当たる。自分よりすごいやつはいっぱいいるという事実に。自分の場合はそれが中二のときだった。井の中の蛙とはよく言ったものだ。それ以来、陸上競技は「得意なこと」ではなくなった。
勝たなきゃ楽しくない。勝つためには苦しい想いもする。負けたら悔しくて泣く。実際何度も泣いた。
そんな状態で、「得意」だなんて言いたくはなかった。
人は何か新しいことを始めようとするとき、「得意かもしれない」と感じるものを選ぶ傾向にある。
選んだものに熱中していくうちに、最初は得意だと思っていても、あるレベルを超えると己の無力を感じ、得意だと思えなくなる瞬間が必ず訪れる。そこからがスタートだ。
スタート地点は始めたところではなく、得意じゃなかったと気づいたところである。
でも心配することはない。そこに立ったということは、やっと本気になり始めたということだから。
逃げたかったら逃げればいい。
本気度を下げて、「得意なこと」としてお遊び程度に楽しめばよい。そしてそんな自分に得意になっていればいい。それで納得いくのなら。
さもなくば、決して「得意」になることはない、永遠に苦手意識を感じる分野を進み続けるしかないのだ。
今年度の宣伝会議賞。
一次審査に一本も通らなかった。
一次審査に、一本も、通らなかった。
落ち込んでる暇はない。
書き続けることでしか道は開かれない。
そう自分に言い聞かせる、23歳の初夜。